2018年5月1日 群馬県嬬恋村・鎌原
活発な活火山として知られる浅間山(あさまやま)。念願の対面ができました。そこで見た風景をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
鬼押出し園
浅間山(標高2568m)は、長野県軽井沢町及び御代田町と群馬県嬬恋村との境に
あります。1783年の噴火の際、山の北側に流出した溶岩流の跡地、鬼押出し(おに
おしだし)に立ちました。

(写真をクリックすると拡大されます)
古くから爆発と噴火を繰り返した浅間山。火口の縁、中央よりやや右手に見られる
大きな岩(小さくて見えにくいですね)、おわかりでしょうか?【1000トン岩】は、19
50年の噴火により火口から飛んできた火山弾だそうです。
機会があればまたご紹介します。
ここまで記事を読んでいただき
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活発な活火山として知られる浅間山(あさまやま)。念願の対面ができました。そこで見た風景をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
鬼押出し園
浅間山(標高2568m)は、長野県軽井沢町及び御代田町と群馬県嬬恋村との境に
あります。1783年の噴火の際、山の北側に流出した溶岩流の跡地、鬼押出し(おに
おしだし)に立ちました。

(写真をクリックすると拡大されます)
古くから爆発と噴火を繰り返した浅間山。火口の縁、中央よりやや右手に見られる
大きな岩(小さくて見えにくいですね)、おわかりでしょうか?【1000トン岩】は、19
50年の噴火により火口から飛んできた火山弾だそうです。
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2018年4月30日 群馬県草津町・草津
湯畑(ゆばたけ)は、草津温泉の一番有名なスポットです。およそ45年前に訪れた時の記憶が、少しだけ蘇りました。「懐かしの湯畑」をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
草津温泉(湯畑)
湯畑とは、湧き出る豊富な温泉の不溶性成分が沈殿した「湯の花」と呼ばれる物質を
採取するための施設だそうです。毎分4000リットルの温泉が湧き出ると聞きました。

(写真をクリックすると拡大されます)

(写真をクリックすると拡大されます)
今では夜になるとライトアップが行われていて、時間の経過とともに色が変わります。
短い時間でしたが、幻想的な世界を楽しめました。
機会があればまたご紹介します。
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湯畑(ゆばたけ)は、草津温泉の一番有名なスポットです。およそ45年前に訪れた時の記憶が、少しだけ蘇りました。「懐かしの湯畑」をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
草津温泉(湯畑)
湯畑とは、湧き出る豊富な温泉の不溶性成分が沈殿した「湯の花」と呼ばれる物質を
採取するための施設だそうです。毎分4000リットルの温泉が湧き出ると聞きました。

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今では夜になるとライトアップが行われていて、時間の経過とともに色が変わります。
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2017年7月 群馬県安中市・駅からウオーク
北陸新幹線長野ルートが開業したのは1997(平成9)年10月1日のことでした。この時に、並行する信越本線・横川~軽井沢間が廃止になったことは何となく知っていました。碓氷(うすい)峠に登ってみたいという気持ちとも相俟って、中山道の宿場町だった松井田町(まついだまち)を訪ねました。今回(第243話)と前回(第242話)とでその様子をご紹介します。今回は「熊の平」までを、前回は「峠の湯」付近までを、印象に残ったことを中心にご紹介します。
感想をいただければ幸いです。
JR横川駅から Ⅱ
アプトの道は、横川駅西側の「起点」から熊の平「折返し」を歩く遊歩道です。朝から小雨の中、
前日に引き返した「峠の湯」付近、横川駅から2.7km地点からの再スタートです。

(写真をクリックすると拡大されます)
最初に目に飛び込んだ看板は、「クマの出没に注意して下さい 群馬県」でした。クマは怖い
ですので、目的地の「熊の平」まで行けるのか、少し不安になりました。

(写真をクリックすると拡大されます)
2分ほど進むとレールが分岐しています。左が旧線、右が新線、でしょうか。アプトの道は旧
線です。新線は1963(昭和38)年9月に完成し、横川~軽井沢間が廃線になる1997(平
成9)年9月まで使用されたそうです。

(写真をクリックすると拡大されます)
3分ほどでトロッコ列車の「とうげのゆ駅」です。

(写真をクリックすると拡大されます)
5分もしないうちに「第1号トンネル」が見えました。

(写真をクリックすると拡大されます)
そこから10分で着いた「第2号トンネル」を出て、しばらくすると碓井湖が見えます。ここから
1km余り、3号、4号、写真の5号トンネルを抜けると第3橋梁です。

(写真をクリックすると拡大されます)
第3橋梁というより「めがね橋」という方が有名かもしれません。1893(明治26)年4月開業
の碓氷線と呼ばれた横川~軽井沢間の、象徴的な建造物です。

(写真をクリックすると拡大されます)
再び「めがね橋」に戻り、数人の人達のカメラの先に見えたのは、「新線」でした。

(写真をクリックすると拡大されます)
「めがね橋」からゆっくり歩いて20分、最後の「第10号トンネル」です。

(写真をクリックすると拡大されます)
トンネルを抜けておよそ10分、標高689mにある熊の平駅(くまのたいらえき)は、新線開通
後の1966(昭和41)年に廃止されました。ちなみに、軽井沢の標高は939mです。
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北陸新幹線長野ルートが開業したのは1997(平成9)年10月1日のことでした。この時に、並行する信越本線・横川~軽井沢間が廃止になったことは何となく知っていました。碓氷(うすい)峠に登ってみたいという気持ちとも相俟って、中山道の宿場町だった松井田町(まついだまち)を訪ねました。今回(第243話)と前回(第242話)とでその様子をご紹介します。今回は「熊の平」までを、前回は「峠の湯」付近までを、印象に残ったことを中心にご紹介します。
感想をいただければ幸いです。
JR横川駅から Ⅱ
アプトの道は、横川駅西側の「起点」から熊の平「折返し」を歩く遊歩道です。朝から小雨の中、
前日に引き返した「峠の湯」付近、横川駅から2.7km地点からの再スタートです。

(写真をクリックすると拡大されます)
最初に目に飛び込んだ看板は、「クマの出没に注意して下さい 群馬県」でした。クマは怖い
ですので、目的地の「熊の平」まで行けるのか、少し不安になりました。

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2分ほど進むとレールが分岐しています。左が旧線、右が新線、でしょうか。アプトの道は旧
線です。新線は1963(昭和38)年9月に完成し、横川~軽井沢間が廃線になる1997(平
成9)年9月まで使用されたそうです。

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3分ほどでトロッコ列車の「とうげのゆ駅」です。

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5分もしないうちに「第1号トンネル」が見えました。

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そこから10分で着いた「第2号トンネル」を出て、しばらくすると碓井湖が見えます。ここから
1km余り、3号、4号、写真の5号トンネルを抜けると第3橋梁です。

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第3橋梁というより「めがね橋」という方が有名かもしれません。1893(明治26)年4月開業
の碓氷線と呼ばれた横川~軽井沢間の、象徴的な建造物です。

(写真をクリックすると拡大されます)
再び「めがね橋」に戻り、数人の人達のカメラの先に見えたのは、「新線」でした。

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「めがね橋」からゆっくり歩いて20分、最後の「第10号トンネル」です。

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トンネルを抜けておよそ10分、標高689mにある熊の平駅(くまのたいらえき)は、新線開通
後の1966(昭和41)年に廃止されました。ちなみに、軽井沢の標高は939mです。
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2017年7月 群馬県安中市・駅からウオーク
北陸新幹線長野ルートが開業したのは1997(平成9)年10月1日のことでした。この時に、並行する信越本線・横川~軽井沢間が廃止になったことは何となく知っていました。碓氷(うすい)峠に登ってみたいという気持ちとも相俟って、中山道の宿場町だった松井田町(まついだまち)を訪ねました。今回(第242話)と次回(第243話)とでその様子をご紹介します。今回は「峠の湯」付近までを、次回は「熊の平」までを、印象に残ったことを中心にご紹介します。
感想をいただければ幸いです。
JR横川駅から Ⅰ
終着の横川駅に降り立って驚いたのが「峠の釜めし」でした。ずっと、どこの峠のことかを
知らなかったのです。松井田町は、「平成の大合併」により、安中市になっていました。

(写真をクリックすると拡大されます)
駅舎の出入口横に展示されていたのが、横川~軽井沢間を活躍した機関車の動輪。駅
そば店の方から聞いたのですが、軽井沢方面から通学する高校生の皆さんが、今も相当
数いらっしゃるそうです。

(写真をクリックすると拡大されます)

(写真をクリックすると拡大されます)
雨が落ちないうちに、西の方に見えている碓氷峠にチャレンジしたいと思いました。駅でも
らったガイド「碓井峠路探訪」(A4サイズ)をたよりに歩き始めます。すぐに軽井沢駅ゆきバ
ス停、左前方には「碓氷峠鉄道文化むら」が見えます。

(写真をクリックすると拡大されます)

(写真をクリックすると拡大されます)
いくつかの案内板を見て進路を確認します。いよいよアプトの道をスタートです!右手の
横川郵便局を見ながら左折して、緩やかな坂を進むと、峠のトロッコ列車が見えました。

(写真をクリックすると拡大されます)
アプトの道の横を走っているのは、碓氷峠専用の電気機関車EF63型です。なんと体験運
転できるとか。

(写真をクリックすると拡大されます)
少し歩くと「碓井関所跡」の案内があり、立ち寄ります。10分もしないでアプトの道に戻り、
ゆっくり歩いて30分余り、旧丸山変電所の前に来ました。日本初の幹線電化(横川~軽
井沢間)に伴い、1912(明治45)年に建設されました。左手にはトロッコ列車の「まるや
ま駅」が見えます。

(写真をクリックすると拡大されます)
今登っているアプトの道は、旧信越本線の上り線で、左側のトロッコ線は同じく下り線、で
しょうか。すでに急な勾配に変わっています。そのためのアプト式軌道なのですね。

(写真をクリックすると拡大されます)
アプトの道をスタートして1時間半、「峠の湯」の近くに来ました。途中、少なくないウオーキ
ングの皆さんと会いました。平日はトロッコはお休みですので、本日はここから引き返すこ
とにします。
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JR横川駅から Ⅰ
終着の横川駅に降り立って驚いたのが「峠の釜めし」でした。ずっと、どこの峠のことかを
知らなかったのです。松井田町は、「平成の大合併」により、安中市になっていました。

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駅舎の出入口横に展示されていたのが、横川~軽井沢間を活躍した機関車の動輪。駅
そば店の方から聞いたのですが、軽井沢方面から通学する高校生の皆さんが、今も相当
数いらっしゃるそうです。

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雨が落ちないうちに、西の方に見えている碓氷峠にチャレンジしたいと思いました。駅でも
らったガイド「碓井峠路探訪」(A4サイズ)をたよりに歩き始めます。すぐに軽井沢駅ゆきバ
ス停、左前方には「碓氷峠鉄道文化むら」が見えます。

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いくつかの案内板を見て進路を確認します。いよいよアプトの道をスタートです!右手の
横川郵便局を見ながら左折して、緩やかな坂を進むと、峠のトロッコ列車が見えました。

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アプトの道の横を走っているのは、碓氷峠専用の電気機関車EF63型です。なんと体験運
転できるとか。

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少し歩くと「碓井関所跡」の案内があり、立ち寄ります。10分もしないでアプトの道に戻り、
ゆっくり歩いて30分余り、旧丸山変電所の前に来ました。日本初の幹線電化(横川~軽
井沢間)に伴い、1912(明治45)年に建設されました。左手にはトロッコ列車の「まるや
ま駅」が見えます。

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今登っているアプトの道は、旧信越本線の上り線で、左側のトロッコ線は同じく下り線、で
しょうか。すでに急な勾配に変わっています。そのためのアプト式軌道なのですね。

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アプトの道をスタートして1時間半、「峠の湯」の近くに来ました。途中、少なくないウオーキ
ングの皆さんと会いました。平日はトロッコはお休みですので、本日はここから引き返すこ
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