2014年4月 山口県下関市・駅からウオーク
本州最西端の街でありながら、海峡を越えた九州の門司(福岡県北九州市)までは鉄道で6分(下関~門司6.3km)という近さです。維新の歴史を刻む史跡を探して散策します。
気ままな2時間半のタウンウオークの様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
JR下関駅から
見て歩きたいところはたくさんありますが、下関駅周辺に絞ります。観光ガイド
ブックにあるモデルコースを意識しながら、了円寺に向かってスタートします。

(写真をクリックすると拡大されます)

(写真をクリックすると拡大されます)
西口広場を抜けて横断し、国道をスタート。北の方向へ、地図上
ではJR山陽線と並行するようです。10分もしないうちに、向かい
側に白石正一郎旧宅跡を見つけました。騎兵隊結成の地とも言
われます。白石は荷受問屋で富を築いた豪商ですが、高杉晋作
をはじめとする維新の志士たちを支援したそうです。

(写真をクリックすると拡大されます)
1864年、長府功山寺で決起した晋作たちがたてこもったという
寺です。晋作は長州藩を討幕運動へと導いたひとりであることは
知られた話ですね。

(写真をクリックすると拡大されます)

(写真をクリックすると拡大されます)
再び国道に合流し南へ、厳島神社前交差点を左折します。すぐ
右手が高杉晋作終焉の地です。

(写真をクリックすると拡大されます)
ガード下を潜り、今度はJR山陽線の東側を南下します。やがて
グリーンモール商店街に入ります。韓国・釜山と国際航路で結
ばれている下関らしく、韓国食材を扱う店、チマチョゴリ専門店
などが並びます。スタート地点が近いのですが、大歳神社に足
を伸ばしたついでにさらに東へ進みます。

(写真をクリックすると拡大されます)
日和山(ひよりやま)公園に向かいます。階段の先に待っていた
のは、高杉晋作陶像でした。1867年、肺結核により27歳の生
涯を閉じたそうです。
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本州最西端の街でありながら、海峡を越えた九州の門司(福岡県北九州市)までは鉄道で6分(下関~門司6.3km)という近さです。維新の歴史を刻む史跡を探して散策します。
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JR下関駅から
見て歩きたいところはたくさんありますが、下関駅周辺に絞ります。観光ガイド
ブックにあるモデルコースを意識しながら、了円寺に向かってスタートします。

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西口広場を抜けて横断し、国道をスタート。北の方向へ、地図上
ではJR山陽線と並行するようです。10分もしないうちに、向かい
側に白石正一郎旧宅跡を見つけました。騎兵隊結成の地とも言
われます。白石は荷受問屋で富を築いた豪商ですが、高杉晋作
をはじめとする維新の志士たちを支援したそうです。

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1864年、長府功山寺で決起した晋作たちがたてこもったという
寺です。晋作は長州藩を討幕運動へと導いたひとりであることは
知られた話ですね。

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再び国道に合流し南へ、厳島神社前交差点を左折します。すぐ
右手が高杉晋作終焉の地です。

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ガード下を潜り、今度はJR山陽線の東側を南下します。やがて
グリーンモール商店街に入ります。韓国・釜山と国際航路で結
ばれている下関らしく、韓国食材を扱う店、チマチョゴリ専門店
などが並びます。スタート地点が近いのですが、大歳神社に足
を伸ばしたついでにさらに東へ進みます。

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日和山(ひよりやま)公園に向かいます。階段の先に待っていた
のは、高杉晋作陶像でした。1867年、肺結核により27歳の生
涯を閉じたそうです。
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2014年4月 長崎県島原市・駅からウオーク
島原温泉あるいは城下町・島原、それとも水の都・島原、さまざまな顔を持つこの街を歩きたいと、ずっと前から思っていました。これまで何度も訪ねた街ですが、車を降りて散策するのは30年ぶりです。
気ままな3時間のタウンウオークの様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
島原鉄道・島原駅から
島原城、武家屋敷、湧水そして坂本竜馬。これらをキーワードにコースを
考えました。まずは目の前に見えるお堀に向かって島原駅からスタートし
ます。

(写真をクリックすると拡大されます)

(写真をクリックすると拡大されます)
島原駅に降り立つと、目の前に島原城が見えます。背後に眉山
(まゆやま)、その後ろに平成新山(へいせいしんざん)、その奥
に普賢岳(ふげんだけ)と続きます。1990年からおよそ5年間
続いた噴火活動。眉山が火砕流から市街地を守ったという話を
思い出します。

(写真をクリックすると拡大されます)
二つ目の交差点を右折、すぐに左折すると右手に総合案内所
「酒造」があります。ここからは堀に沿うように北に向かいます。
二の丸坂交差点を左折、ひたすら西(山側)へ歩きます。時鐘
楼は、島原藩の名君松平忠房が鋳造させたもので、文字どお
り時を告げる鐘として重宝されたそうです。

(写真をクリックすると拡大されます)
松倉重政は島原城を築いた1625年、外郭の西に接して下士
をまとめて住まわせ、街路中央の水路に豊かな湧水を引きまし
た。水がとても清らかです。南の方に向かって山本邸、篠塚邸、
島田邸があります。

(写真をクリックすると拡大されます)
武家屋敷街を離れ、中心市街地を縦貫するように南へ歩きます。
比較的賑やかなアーケード街を過ぎると標識が目に止まります。
右折してしばらくすると、湧水めぐりゾーンに入ります。湧水庭園
「四明荘(しめいそう)」は島原を代表する水屋敷で、大小3つの
池があります。

(写真をクリックすると拡大されます)
南西に向かっておよそ20分、白土湖(しらちこ)が見えます。17
92年の眉山崩壊でできた湖で、湖底からは今でも1日約4万トン
の水が湧き出ているそうです。

(写真をクリックすると拡大されます)
白土湖から再び中心街の方へおよそ20分、島原郵便局の前を
通り過ぎて国道を横切り、「坂本龍馬上陸の地」に着きました。
1864年、海舟と龍馬らは島原への第一歩を、島原湊の石段に
標したそうです。石組の岸壁に往時を偲びながら、近くの南島原
駅に向かいました。
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島原温泉あるいは城下町・島原、それとも水の都・島原、さまざまな顔を持つこの街を歩きたいと、ずっと前から思っていました。これまで何度も訪ねた街ですが、車を降りて散策するのは30年ぶりです。
気ままな3時間のタウンウオークの様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
島原鉄道・島原駅から
島原城、武家屋敷、湧水そして坂本竜馬。これらをキーワードにコースを
考えました。まずは目の前に見えるお堀に向かって島原駅からスタートし
ます。

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島原駅に降り立つと、目の前に島原城が見えます。背後に眉山
(まゆやま)、その後ろに平成新山(へいせいしんざん)、その奥
に普賢岳(ふげんだけ)と続きます。1990年からおよそ5年間
続いた噴火活動。眉山が火砕流から市街地を守ったという話を
思い出します。

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二つ目の交差点を右折、すぐに左折すると右手に総合案内所
「酒造」があります。ここからは堀に沿うように北に向かいます。
二の丸坂交差点を左折、ひたすら西(山側)へ歩きます。時鐘
楼は、島原藩の名君松平忠房が鋳造させたもので、文字どお
り時を告げる鐘として重宝されたそうです。

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松倉重政は島原城を築いた1625年、外郭の西に接して下士
をまとめて住まわせ、街路中央の水路に豊かな湧水を引きまし
た。水がとても清らかです。南の方に向かって山本邸、篠塚邸、
島田邸があります。

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武家屋敷街を離れ、中心市街地を縦貫するように南へ歩きます。
比較的賑やかなアーケード街を過ぎると標識が目に止まります。
右折してしばらくすると、湧水めぐりゾーンに入ります。湧水庭園
「四明荘(しめいそう)」は島原を代表する水屋敷で、大小3つの
池があります。

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南西に向かっておよそ20分、白土湖(しらちこ)が見えます。17
92年の眉山崩壊でできた湖で、湖底からは今でも1日約4万トン
の水が湧き出ているそうです。

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白土湖から再び中心街の方へおよそ20分、島原郵便局の前を
通り過ぎて国道を横切り、「坂本龍馬上陸の地」に着きました。
1864年、海舟と龍馬らは島原への第一歩を、島原湊の石段に
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2014年4月5日 佐賀県江北町・肥前山口駅及び長崎県諫早市・諫早駅
「ななつ星in九州」が長崎へ。第6話では初クルーズ、前回(第16話)は21度目、そして今回(第18話)は24度目。佐賀県西部での様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
肥前山口駅及び諫早駅
肥前山口駅と諫早駅との間は鉄路60km余り、小雨が降ったり止んだりの中、
並行する国道を車でゆっくり移動しました。

(写真をクリックすると拡大されます)
およそ20分遅れの下り列車。小雨を避けて屋根の下で待機しているとやがて
荘厳な姿が現れ、走り去っていきました。

(写真をクリックすると拡大されます)

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長崎駅からの上り列車は定刻に諫早駅に進入してきました。15分停車の間、
カメラを持った人や乗降客が集まります。ピカピカな車体が印象的でした。
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肥前山口駅及び諫早駅
肥前山口駅と諫早駅との間は鉄路60km余り、小雨が降ったり止んだりの中、
並行する国道を車でゆっくり移動しました。

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およそ20分遅れの下り列車。小雨を避けて屋根の下で待機しているとやがて
荘厳な姿が現れ、走り去っていきました。

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2014年3月 東京都港区・駅からウオーク
東京散歩がようやく実現しました。東京は随分前に住んでいたことがありますが、移動はいつも電車・地下鉄・バスで、ゆっくり街を歩くことはほとんどありませんでした。品川駅が港区に入ると知ったのは最近のことです。
気ままな2時間足らずのタウンウオークの様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
品川駅から
目標は、東京のシンボルとして親しまれている東京タワーまで歩くこと。が、下調べは
一切せずにそれでも何か発見があるだろうと期待を膨らませながらのスタートです。

(写真をクリックすると拡大されます)

(写真をクリックすると拡大されます)
品川駅に近い宿を出たのはまだ薄暗い早朝。高輪口からスタートです。
第一京浜を北上するよりも坂を上ると何か発見があるのではと思い、
西の方へゆっくりと歩を進めます。柘榴の木があったためと言われる
「柘榴坂(ざくろざか)」です。坂の両側にはいくつものホテルがあります。

(写真をクリックすると拡大されます)
坂上まで来るとほぼ直角に右折、閑静な住宅街です。このあたり高輪
3丁目から北へと「二本榎通り(にほんえのきどおり)」を進みます。やが
て右手に東海大高輪キャンパスの桜が見え、その先左手には1594年
創建の「丸山神社」がありました。

(写真をクリックすると拡大されます)

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伊皿子(いさらご)交差点に来ました。名称の由来のひとつは、明国人
「伊皿子(いんべいす)」が住んでいたというもの。右下へ下ると伊皿子
坂(いさらござか)ですが、まっすぐ三田4丁目方向に歩きます。ここか
ら先は、「聖坂」と名称が変わり、しばらく歩くと左手に「幽霊坂(ゆうれ
いざか)」が見えます。その名の由来ですが、1635年の江戸城拡張
に伴い移転されてきた寺院群のために昼でも幽霊が出そうなほど暗
い場所であったから、という説があります。

(写真をクリックすると拡大されます)

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スタートしてからおよそ100分、気がつくと平地に下りています。広い
桜田通りを北へ、ゴールまであと少しです。いつのまにか雨は止み、
久しぶりの東京タワーが眼前に。赤羽橋交差点を渡り、東京タワー下
交差点でゴールインです。
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東京散歩がようやく実現しました。東京は随分前に住んでいたことがありますが、移動はいつも電車・地下鉄・バスで、ゆっくり街を歩くことはほとんどありませんでした。品川駅が港区に入ると知ったのは最近のことです。
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品川駅から
目標は、東京のシンボルとして親しまれている東京タワーまで歩くこと。が、下調べは
一切せずにそれでも何か発見があるだろうと期待を膨らませながらのスタートです。

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品川駅に近い宿を出たのはまだ薄暗い早朝。高輪口からスタートです。
第一京浜を北上するよりも坂を上ると何か発見があるのではと思い、
西の方へゆっくりと歩を進めます。柘榴の木があったためと言われる
「柘榴坂(ざくろざか)」です。坂の両側にはいくつものホテルがあります。

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坂上まで来るとほぼ直角に右折、閑静な住宅街です。このあたり高輪
3丁目から北へと「二本榎通り(にほんえのきどおり)」を進みます。やが
て右手に東海大高輪キャンパスの桜が見え、その先左手には1594年
創建の「丸山神社」がありました。

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伊皿子(いさらご)交差点に来ました。名称の由来のひとつは、明国人
「伊皿子(いんべいす)」が住んでいたというもの。右下へ下ると伊皿子
坂(いさらござか)ですが、まっすぐ三田4丁目方向に歩きます。ここか
ら先は、「聖坂」と名称が変わり、しばらく歩くと左手に「幽霊坂(ゆうれ
いざか)」が見えます。その名の由来ですが、1635年の江戸城拡張
に伴い移転されてきた寺院群のために昼でも幽霊が出そうなほど暗
い場所であったから、という説があります。

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スタートしてからおよそ100分、気がつくと平地に下りています。広い
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