第 40話 山口県
2014年10月 山口県山陽小野田市・駅からウオーク
日本の民話の一つに「三年寝太郎」というのがありますが、この話が伝わるという厚狭地方を訪ねました。民話であれ土地の歴史であれ、ぶらぶら歩きしながら何かがわかればより楽しくなります。
気ままな2時間のタウンウオークの様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
JR厚狭駅から
厚狭(あさ)駅構内に置かれた手作りのチラシ「厚狭毛利と寝太郎
の里」を手に、歴史探訪ショートコース約2.5時間というのを元に
歩くことにしました。

(写真をクリックすると拡大されます)

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いつものように駅前に立って地図を見るのですが、「厚狭毛利家」
の意味はあとでわかりました。毛利元秋(もうりもとあき)を祖とし、
のちに厚狭郡末益村(現・山陽小野田市)・厚東郡船木村(現・宇
部市)を与えられ、末益村に居館を構えたことにより厚狭毛利氏
というようになったそうです。

(写真をクリックすると拡大されます)

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厚狭(あさ)駅前交差点を右折し、国道225号線を東へ歩いてい
くと厚狭川が見えてきます。川を渡って道路を横断し、次の角を
右折して南へ進みます。すぐに狭い道が東西に走っています。
これが旧山陽道です。律令(りつりょう)に規定、「五畿七道」と称
されるその一つだそうです。
(写真をクリックすると拡大されます)
旧山陽道を渡るとやがて右手に貞源寺(ていげんじ)です。山陽
新幹線の高架下を通り、JR山陽線踏切を渡ると右手に厚狭毛利
家居館址があります。妙徳寺を南に見ながら西の方へ向きを変
えます。厚狭川を渡り、再び右折すると比較的広い道に出ます。
周囲には高い建物がなく、遠くまで視界が開けています。

(写真をクリックすると拡大されます)

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厚狭(あさ)駅南口は新幹線口でもありました。さて、三年寝太郎
の話ですが、旱魃に苦しむ村に三年間眠り続けた寝太郎が、あ
る日突然起き出して川をせき止め、灌漑を成し遂げるというあら
すじ。寝太郎像は駅北口にあります。
機会があればまたご紹介します。
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日本の民話の一つに「三年寝太郎」というのがありますが、この話が伝わるという厚狭地方を訪ねました。民話であれ土地の歴史であれ、ぶらぶら歩きしながら何かがわかればより楽しくなります。
気ままな2時間のタウンウオークの様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
JR厚狭駅から
厚狭(あさ)駅構内に置かれた手作りのチラシ「厚狭毛利と寝太郎
の里」を手に、歴史探訪ショートコース約2.5時間というのを元に
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いつものように駅前に立って地図を見るのですが、「厚狭毛利家」
の意味はあとでわかりました。毛利元秋(もうりもとあき)を祖とし、
のちに厚狭郡末益村(現・山陽小野田市)・厚東郡船木村(現・宇
部市)を与えられ、末益村に居館を構えたことにより厚狭毛利氏
というようになったそうです。

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厚狭(あさ)駅前交差点を右折し、国道225号線を東へ歩いてい
くと厚狭川が見えてきます。川を渡って道路を横断し、次の角を
右折して南へ進みます。すぐに狭い道が東西に走っています。
これが旧山陽道です。律令(りつりょう)に規定、「五畿七道」と称
されるその一つだそうです。

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旧山陽道を渡るとやがて右手に貞源寺(ていげんじ)です。山陽
新幹線の高架下を通り、JR山陽線踏切を渡ると右手に厚狭毛利
家居館址があります。妙徳寺を南に見ながら西の方へ向きを変
えます。厚狭川を渡り、再び右折すると比較的広い道に出ます。
周囲には高い建物がなく、遠くまで視界が開けています。

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厚狭(あさ)駅南口は新幹線口でもありました。さて、三年寝太郎
の話ですが、旱魃に苦しむ村に三年間眠り続けた寝太郎が、あ
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