第 88話 佐賀県
2015年10月 佐賀県佐賀市・駅からウオーク
第67話でご紹介しました佐賀駅に再び降り立ちました。ユネスコの世界文化遺産に「明治日本の産業革命遺産」が決まったことは第78話でご紹介しましたが、その構成資産の一つ、「三重津海軍所跡」を訪ねました。
気ままな4時間半のタウンウオークの様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
JR佐賀駅から
駅構内の観光案内所で「三重津(みえつ)海軍所跡」というパンフ
をもらい、コースを考えます。長い距離になることは予想していた
のですが…。

(写真をクリックすると拡大されます)
まずは天気に恵まれたことを良しとして、南口中央からシンボル
ロードをひたすら南に歩くことにします。
(写真をクリックすると拡大されます)
鍋島藩の城下町だった市街地は、このあたり一帯の佐賀城跡を
中心に展開します。くすの栄橋(くすのさかえばし)に来ると、右手
先は県庁です。

(写真をクリックすると拡大されます)
広い国道208号線に出たところで左折、ここからおよそ1時間は
車に注意しながらの歩行です。諸富支所前まで来ると一安心。
(写真をクリックすると拡大されます)
208号線と別れて直進、車が少なくなります。20分ほど進むと前
方に見えたのが昇開橋(しょうかいきょう)です。筑後川にかかるこ
の橋は旧国鉄佐賀線で、今は遊歩道として生まれ変わりました。

(写真をクリックすると拡大されます)

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筑後川を見失わないように住宅街、防潮水門を通り抜けること30
分余り、「三重津海軍所跡」が見えました。欧米諸国の進出に伴い、
長崎の警備を強化するために佐賀藩が作った海軍の拠点。「修覆
場地区(しゅうふくばちく)」は、洋式船のメンテの場所だそうです。

(写真をクリックすると拡大されます)
早津江橋から見た歴史公園の全景です。中央の稽古場地区(けい
こばちく)は、海軍教育が行われた場所だそうです。今回は、予想
していたとはいえ、滅多にない長い距離でした。
機会があればまたご紹介します。
ここまで記事を読んでいただき
ありがとうございました。
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第67話でご紹介しました佐賀駅に再び降り立ちました。ユネスコの世界文化遺産に「明治日本の産業革命遺産」が決まったことは第78話でご紹介しましたが、その構成資産の一つ、「三重津海軍所跡」を訪ねました。
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をもらい、コースを考えます。長い距離になることは予想していた
のですが…。

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鍋島藩の城下町だった市街地は、このあたり一帯の佐賀城跡を
中心に展開します。くすの栄橋(くすのさかえばし)に来ると、右手
先は県庁です。

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広い国道208号線に出たところで左折、ここからおよそ1時間は
車に注意しながらの歩行です。諸富支所前まで来ると一安心。

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208号線と別れて直進、車が少なくなります。20分ほど進むと前
方に見えたのが昇開橋(しょうかいきょう)です。筑後川にかかるこ
の橋は旧国鉄佐賀線で、今は遊歩道として生まれ変わりました。

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筑後川を見失わないように住宅街、防潮水門を通り抜けること30
分余り、「三重津海軍所跡」が見えました。欧米諸国の進出に伴い、
長崎の警備を強化するために佐賀藩が作った海軍の拠点。「修覆
場地区(しゅうふくばちく)」は、洋式船のメンテの場所だそうです。

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早津江橋から見た歴史公園の全景です。中央の稽古場地区(けい
こばちく)は、海軍教育が行われた場所だそうです。今回は、予想
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