第 97話 青森県
2015年11月 青森県五所川原市・駅からウオーク
前回(第96話)ご紹介した津軽鉄道の列車を降りたのは旧金木町(かなぎまち)にある金木駅でした。およそ2時間の滞在ですが、太宰治ゆかりの地を訪ねます。
気ままな1時間半のタウンウオークの様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
津軽鉄道・金木駅から
「走れメロス」で有名な太宰治。『太宰の文章は、読者への手紙で
ある』と語ったのは奥野健男さん。「かなぎ文学散歩2時間コース」
という案内を見ましたが、時間が許す範囲で歩くことにします。

(写真をクリックすると拡大されます)
金木駅から太宰治記念館までは10分もかからないと聞きました。
が、私の歩みはいつものようにゆっくりです。美容院の前でメロス
坂通りの方に進みます。

(写真をクリックすると拡大されます)
終戦直前の1945年7月から、戦禍から逃れた太宰が妻子と共に
身を寄せ、翌年11月まで滞在したそうです。

(写真をクリックすると拡大されます)
1907年に建てられた太宰の生家です。この豪邸も戦後に手放さ
れ、1950年から旅館「斜陽館」に、その後1996年に旧金木町が
買い取ったそうです。

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太宰が幼い頃、子守のタケに連れられてよく訪れた雲祥寺。外か
ら窓越しに、作品に登場する「地獄の絵」が見えました。この老松
は、樹齢500年以上と伝えられます。

(写真をクリックすると拡大されます)
太宰通りが西の方に続きます。ここから右折して1100m先には
文学碑のある県立芦野公園があります。

(写真をクリックすると拡大されます)
太宰治誕生の「部屋(小間)」です。手前にある「説明」を、最後に
ご紹介します。「『生まれてすみません』『罪、誕生の時刻にあり』
という名言と重ね合わせると、太宰誕生の『この、小間』は太宰文
学の母胎にあたるでしょう」
機会があればまたご紹介します。
ここまで記事を読んでいただき
ありがとうございました。
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前回(第96話)ご紹介した津軽鉄道の列車を降りたのは旧金木町(かなぎまち)にある金木駅でした。およそ2時間の滞在ですが、太宰治ゆかりの地を訪ねます。
気ままな1時間半のタウンウオークの様子をご紹介します。感想などをいただければ幸いです。
津軽鉄道・金木駅から
「走れメロス」で有名な太宰治。『太宰の文章は、読者への手紙で
ある』と語ったのは奥野健男さん。「かなぎ文学散歩2時間コース」
という案内を見ましたが、時間が許す範囲で歩くことにします。

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金木駅から太宰治記念館までは10分もかからないと聞きました。
が、私の歩みはいつものようにゆっくりです。美容院の前でメロス
坂通りの方に進みます。

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終戦直前の1945年7月から、戦禍から逃れた太宰が妻子と共に
身を寄せ、翌年11月まで滞在したそうです。

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1907年に建てられた太宰の生家です。この豪邸も戦後に手放さ
れ、1950年から旅館「斜陽館」に、その後1996年に旧金木町が
買い取ったそうです。

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太宰が幼い頃、子守のタケに連れられてよく訪れた雲祥寺。外か
ら窓越しに、作品に登場する「地獄の絵」が見えました。この老松
は、樹齢500年以上と伝えられます。

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太宰通りが西の方に続きます。ここから右折して1100m先には
文学碑のある県立芦野公園があります。

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太宰治誕生の「部屋(小間)」です。手前にある「説明」を、最後に
ご紹介します。「『生まれてすみません』『罪、誕生の時刻にあり』
という名言と重ね合わせると、太宰誕生の『この、小間』は太宰文
学の母胎にあたるでしょう」
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